« 記シトキマス。 「Invitation“2003年サブカルチャー概論”」 | Main | 雑誌カラ収穫。 「サイゾー“ドラァグクイーン、ヴィヴィアン佐藤の薦める「現代ニッポン裏文化」本”」 »

July 22, 2004

記シトキマス。 斎藤環「マンガにおける「顔」と「関係」」

 前のブログ(2004.07.22付)に記した「“後退に抵抗するための2003年サブカルチャー概論”宮台真司×宮崎哲弥」に関連する論考として、斎藤環著『フレーム憑き─見ることと症候』(青土社)所収の「マンガにおける「顔」と「関係」」(p.272 初出=ユリイカ 2003年11月号)にも触れておきたい。三宅乱丈『ペット』、それに山本英夫『ホムンクルス』が共通の題材となっているからだ。

 斎藤は、この2作品を傑作と評価し、「いずれも漫画における「心理学化」を、きわめて対照的な方向で乗り越えようとするかにみえる」と分析している。この「心理学化」というのは、フィクションや社会事象などの様々な領域において、それらの原因を解釈する方法として心理学を頻用するような傾向を指し、斎藤環著『心理学化する社会」(PHPエディターズグループ)で詳述されている。

 両者がどのように対照的かという部分は、ここには写さない。記しておきたいのは、「興味深いことに、漫画に限らずフィクションにおいて心理学や精神分析をベタなかたちで援用すると、なにか占いやまじないを連想させるいかがわしさに変質することがたいへん多い」という指摘だ。非常に肯ける内容ながら、ハリウッド映画を含め、こうしたセンスに無自覚なままの作品があまりに多い。

 「対照的な二作品を見てあらためて思うことは、「心理学」なるものの無根拠性である。それは無根拠であるからこそ、これほど対照的なアイディアが、それぞれ別種のリアリティを獲得しうるのだ」
 「その意味から考えても、二つの作品が置かれた位置は、きわめてクリティカルなものだ。私の予測では、二人の作家が本来のテーマを十分に掘り下げることができれば、これら対照的な二作品の主題が交錯する瞬間が必ずおとずれるはずだ」

 特に『ペット』に対し、斎藤は、「世界の命運を握る戦いを描かずとも、人物の錯綜した関係性を描くだけで、これほどのスケール感が出せるという事実は単純に驚きだ。「幸せの記憶」について、精神分析は「それもまたトラウマの一種なのだ」などと解説してみせはするだろう。しかし本作はむしろ、心理学などの援用抜きでも、サイコものの傑作を描きうる」ことを示したと位置付けている。

|

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/32426/1025152

Listed below are links to weblogs that reference 記シトキマス。 斎藤環「マンガにおける「顔」と「関係」」:

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)