家デ観マシタ。 DVD「なごり雪」(劇場で観たが再見)
「なごり雪」(2002年)は、三浦友和(梶村祐作役)のモノローグのためか、「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(1988年)とセットで私の記憶にとどまりそうだ。大林宣彦監督のフィルモグラフィー中でも、近似した設定のものだと思う。ちなみに、私の中では「日本殉情伝~」は大林映画の一位か二位のポジションにある。
ラストシーンのベンガル(水田健一郎役)に共鳴できるかどうかは、主人公たちと同じ50歳位の年齢になった時の“喪失感”の持ち方にもよるかもしれない。胸に迫るものはあったし、作品のテーマを深く刻むための描き方として見事なものだと認めた上で言うが、当時「日本殉情伝~」で感じた“取り返しのつかなさ”の方が強烈ではあった。
かつての作品の幾つかでは、なぜかバランスを崩すようなオプチカル処理の暴走があって、それが大林映画らしさでもあったが、その点では抑制が効いたものになっている。現在の雪子の様子など“怪奇趣味”も相変わらずなのだが、破調を来たさない程度に収め、むしろ不思議な味わいを与えることに成功している。
個人的には主題歌の「なごり雪」に思い入れがない分、やや距離感が残った(没入を阻まれた)。とはいえ、どこを取っても「大林印」になっていて、過去のいずれかの作品で気に入ったものがある人になら、お薦めできる。同じモチーフをよくもここまで展開できるものだと思うし、かなり磨き上げられたものにもなっている。
気になったのは、エンディングに合成されているCGの「雪」だ。この作品が遵守しようとしている古きよき日本映画の水準からすれば、あまりに情緒に欠ける降り方だ(担当はマリンポスト)。「なごり雪」の歌が流れるのだからと言っても、これまでの大林監督であれば「見せない」ことで想像させる手を選んだのではないか。
大林監督は、CG(やデジタル処理)によって生み出される映像エンターテインメントの殆どが破壊と殺戮の表現に傾いていることを批判している(9.11のテロはその帰結だとも言っている)。しかし、CG(やデジタル処理)を嫌って避けているだけでは、そうした流れを変えることはできないとの認識も持っていると思われる。
そうした批評意識が、このエンディングの表現に見えたような見えないような…うーん、微妙なところだ。ただ、劇中の大事な場面で2種類、アナログの「雪」(どちらも元は枕の中に封じ込めらているのが象徴的だ)が登場することから、やはりCGで表現することとの対比は頭の中にあったのではないかと思うのだが、どうか。
ベストライフ・オンラインで奥山融社長(元・松竹社長)が持っているコーナー「私のベストライフ」の中に、「なごり雪」公開直後と思われる大林監督に対するインタビューがある。湾岸部のプロジェクト「東京国際映像センター(スタジオシティTOKYO)」の構想が発表されたころで、それに関連させて日本映画の現状を語っているので、少しピックアップする(第13回)。
「日本映画が今、ダメになってるのは、日本は60年代の経済政策がアメリカの模倣でしたからね、文化までも、まねしてきてしまったんですね。だからここで、「STAR WARS」が作れるデジタルスタジオやドンパチできるようなフィルムコミッションを作ったのでは、日本映画はもうなくなっちゃうと思います。日本映画再生のためには、そうではないスタジオやフィルムコミッションを作る、という見識、そして、小津さんや溝口さん、黒澤さんがお作りになってきた過去の財産をもう一度検証して、日本の魅力とは何かを、つまりスクラップ&ビルドではなく、日本古来の修理・修復のメンテナンスの文化を大事にしなければ、と思うんですよね」
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