整理。 『ローレライ』の大ヒット LORELEI航跡追尾
(こちらを久しぶりに更新します。鑑賞後、随分時間が経ったような気がしますが、公開はまだ「半ば」ということのようです。この映画の大ヒットを検証することは、かなり重要なことだと思っています。結果的には原作もののような見かけになってはいますが、アニメ諸作や『踊る~』のような人気TV番組、あるいはベストセラー書籍で(物語背景やキャラクター設定の)下地と認知をつくった上でヒットさせた映画とは全く異なる、監督によるオリジナル企画として生まれたものなのですから。またもBlogらしからぬ体裁になってしまいましたが、書き留めます)
映画版『ローレライ』における創意工夫とは、どのあたりにあるのだろうか。私は、以下の三点に集約して考えてみることにした。
(1)世界観やキャラクターの設定と表現に関し、リアリティーの水準を積極的にアニメに合わせようとしている …作品コンセプト
(2)おたくのマインドを熟知していることを大前提に、成果物としてはライトユーザー向けであろうとしている …商品コンセプト
(3)アニメ+特撮の現場で培った独自の画コンテ作法を、特撮パートだけでなく本編にも適用しようとしている …技術コンセプト
この三点セットを(個別ではなく三位一体で)、有名俳優を多数起用した実写の娯楽大作に持ち込む。──というところが、おそらく『ローレライ』の“新しさ”であったはずだ(このうちの(3)については方針変更したと語られているわけだが)。
公開後に起こった賛否両論を見ると、否定論は、リアリティー(を支えるためのディテール)の所在に対する問題指摘が多いようだ。
しかし、上記の三点を踏まえた上で、様々なメディアにおける近年の樋口真嗣監督の発言を拾い上げ、その思考の軌跡をたどってみると、『ローレライ』を観た時に“欠如”や“不足”と感じさせるうちの多くは、確信犯的なものであるとわかってくる。
要するに、限られた人のみから高得点をもらうような作品には向かわせずに、全体の平均点を上げることを優先的に目指しているのだ。
樋口監督本人も「突っ込みどころ満載」と自認しているわけだし、個々の思い入れや見識に従って突っ込みを入れる楽しみも当然あっていいだろう。ただ、つくり手の“企み”と“悩み”は、かなり深いところにあるらしいということも踏まえたい。
なんてことを考えながら、『ローレライ』鑑賞後、手元の資料を漁ってみた。そこからサンプリングできた樋口語録に沿って考察してみる。
(1)については、特に「ガンダム」との関係で監督と原作者(福井晴敏)がコンセプトを語っている。ほかにも、宮崎アニメや「ヤマト」から「エヴァ」まで、アニメの世界で起こり得ることはこの映画でも許容する、という姿勢でつくられていると言える。
樋口語録と言いながら、ここだけは原作者のインタビューから拾ってみた。最も“腑に落ちる”説明と感じたのが、この発言だからだ。
押井守監督は、これを「アニメの血を実写映画に輸血する」と表現している(「ローレライ COMPLETE GUIDE」角川書店)。私は、作品性にかかわる試みだと受け取っているが、原作者が口にしているように、商品性とも表裏一体だと言ってよさそうだ。
(2)については、監督、原作者(というよりも二人を共同企画者と見ることが重要だが)ともに、“濃い”の方に針が振れているクリエイターだ。じゃあ、“おたく全開”で進めたのかというと、そうではないところに意識が向かっている。そのさじ加減が興味深い。
『タイタニック』の日本公開は、1997年12月。VFXをマニアックに使いこなしつつ、“大衆”の心をつかんだ映画作家として、ジェームズ・キャメロンは、やはり見習うべき“成功モデル”ということなのだろう(特撮マン出身ということも忘れてはならない)。
VFX(CG)ではなく物語(シナリオ)が重要というのは誰にでも言える“決まり文句”ではある。しかし、樋口監督のポジションから出た言葉であるからこそ重みがある。
この頃、興行性(商品性)についての発言を樋口監督が幾つか残しているのは、特殊技術の貢献によって映像クオリティーを高く評価されながらも、客層拡大には苦戦を余儀なくされた平成『ガメラ』三部作の経験があるからだと思われる。
以下は、1999年の『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』公開時のインタビューだ。「特に目指したものは?」と訊かれ、このように答えている。
また、同じ時期、作家としての衝動と関係付けて以下のようなコメントも発している。シネコンの増加やDVDの普及で興行の状況には変化があるのだろうが、ヒットを希求する思いの強さは変わらず、見事『ローレライ』に結実したのではないだろうか。
ある程度、リアリティーを犠牲にする(画として嘘をつく)ことについて、樋口監督は、これまでも「ケレン」という表現を使って説明してきた。『ローレライ』の戦闘場面などについても、その方針で臨んだことをはっきりと表明している。
しかし、『ローレライ』が従来とかなり異なるのは、全く別の次元でディテールの表出にブレーキをかけた部分があると見受けられることだ。
商業性について語ったコメントの中にあったように、「映画的な記憶(知識、教養…)」の豊かさというものは時に、素直な鑑賞(翻っては創作)や感動の妨げになる。そうした認識に立って、この映画では慎重に舵取りが行われている。
例えば、樋口+福井の旗印になっている“爆発”。『ローレライ』では、(クロスシミュレーションを使ったとされる)敵艦が水中で爆裂する表現がまさにアニメ的で素晴らしい出来となっているが、見せ方としては抑制を利かせたものだと思う。
「特撮エース」の連載“爆発道場”のひな型になったと思われる“文芸誌”の対談でかつて、樋口監督は以下のように語っている。
ディテール表現の取捨選択には当然コストの制約なども関係してくるわけだが、『ローレライ』ではそれ以前に、マニアックになり過ぎてユーザー層を狭めることがないよう、チューニングにかなり気を遣っただろうことが察せられる。
個人的には、深海に隔離されていることの孤絶感や、死と隣り合わせであることの緊迫感がもっと表現されていてもいいのではないかと感じたのだが、本来目指しているものとしては、それらも優先要素ではなかった可能性がある。
現実との接触部分の摩擦を減らし、ある程度のフラットさを受容しながら、流れを阻害するものを極力捨て去って一気に駆け抜ける。傷や綻びがあっても、少なくとも観ている間には気にならない速度を与える──ことに成功したかどうか。
興行成績の上位持続力から判断するなら、そのバランスは受け入れられたと認めるべきだろう。もっと上を目指せるはずだ、と私自身は感じたが、その点は以下のようにつくり手が正確に自覚している。だから信頼して次回作を待てる、と思っている。
日本映画の場合、大風呂敷を広げる作品となると、どうしても不安があった。日本(東洋)人の俳優が主体では観客を非日常の世界に誘うハリウッド調アクションやファンタジーは成立しにくい、といった議論があったはずだし、私もそう思っていた。
しかし、韓国映画の台頭によって、この認識は覆されることになったと言える。いち早くこのムーブメントに共鳴し、『シュリ』の日本公開時(2000年1月)に賛辞を寄せていたのが樋口監督だった。そこで得た視点は、『ローレライ』に活かされていると見た。
こうした貌(かお)に対するこだわりとも無関係でないようなのだが、(3)については、役者の力を目の当たりにし、芝居を画コンテで規定するやり方を初期に捨て去ったことが語られている。監督のインタビューの大半が、この点を主題にしている。
このことは、『ローレライ』に“樋口監督(≠特技監督)らしさ”が発揮されたのか否かの判定を難しくしている。ただ、(アニメ+特撮仕込みの)画コンテ作法が全く無効とは思っていないようなので、これからの展開で独自性が花開くのかもしれない。
樋口監督(=特技監督)の画コンテについては、私は長年、見誤っていた部分があるようだ。コンティニュティーという言葉から、てっきり「線的」に映像を発想しているものと思っていたのだが、そうではなく「点的」なのだという。
これについては、庵野秀明監督が正確に指摘している。「シンちゃんって、シーンで撮れない男なんですよ。カット単位の組み立てなんですよね。カットでしかものを見れないので、一枚絵なんです。それが最後まで続くと、たまたま一本の映画になってる」(05)とコメントしている。
『ローレライ』(の特撮)でもまだそこから脱しきれず、特に宣伝面(予告映像)において、これはハンディになっているのではないかと私は感じた。要するに「(特撮の)いいところを結構、予告で“見せきって”しまってるんじゃないの」と鑑賞後に思ったのだ(あくまでも印象)。
「予告映像に触れる前に鑑賞できてたら、どんなに幸せだったか」とさえ思った。これはおそらく“一枚絵”ゆえの強さ(線、あるいは塊で見た場合の情報バランス)が原因なのだ。
映画をイベント化する、といった場合には予告映像も込みにした「設計」がやはり不可欠なはずで、これは課題となるだろう。
ただ、そのテーマを描ききっているかというと、分かりにくいところもまだあるように思う。これは再見時に、改めて考えてみたい。
特撮(VFX)の歴史は、戦闘・格闘や破壊・爆破(人造物や身体の蹂躙)と共にある。しかし、それによって可能になった(特にハリウッド的な)想像力の発揮のさせ方に警鐘を鳴らす映画人がいないわけではない(9・11以後)。
結果的に「原作もの」のように見えている面もあるが、特撮マン(特殊技術者)出身のクリエイターが企画から立ち上げ、このようなテーマを導き出した。これは“映像の歴史”のひとコマとして記憶されるべきことのはずだ。
[出典]
01 『映画秘宝』洋泉社 2005年4月号 P.84
02 『好奇心ブック45号「ザ・怪獣魂」』双葉社 1999年8月15日発行 P.19
03 『キネマ旬報』キネマ旬報社 1999年3月下旬号 巻頭特集「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」 P.40
04 『アーク都市塾 第22期 第11回「日本型映画ビジネスの今後 システムから変わる日本映画の世界」』森ビル(WEB) 1999年7月26日
05 『デジタルスタジアム 第215回 クリエイターズ・ルームズ vol.1 映画監督・樋口真嗣~映像の新しい可能性~』NHK BS1 2005年3月5日放送
06 『X+ エクスタス 2001年01(群像2001年9月号増刊)』講談社 「映画火薬量主義」 P.67
07 『キネマ旬報』キネマ旬報社 2000年9月上旬号 巻頭特集「U-571」 P.46
08 『キネマ旬報』キネマ旬報社 2005年3月下旬号 巻頭特集「ローレライ」 P.38
09 『MouRa FRAMES 「あなたとわたしのGAINAX」第6回』講談社(WEB) 2003年12月17日~2004年1月14日
10 『素晴らしき円谷英二の世界 君はウルトラマン、ゴジラにどこで会ったか』中経出版 2001年7月9日発行 P.95
[補足]
02は怪獣特撮についてのインタビューで、最後に「CGなどの方法で怪獣映画を撮ったら面白いと思われますか?」との質問に、「量も増やすし質も増やすっていう。それをやらないと観客は納得しない。ものすごい消耗戦になっていくと思うんです」とCGで競うことには否定的な見解を示した上で、「タイタニック」を引き合いに出している。
05はテレビ番組から。「北斎」と言っているのは、コメント出演の中野昭慶(特技)監督が、葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖裏」を例に挙げ、画の中にある“大嘘”の価値を、特殊効果のあり方と重ね合わせて説明したことに対応したもの。樋口監督は少年時代に、東宝スタジオで中野監督に出逢っっている。
06は映画の爆発シーンを俎上に乗せた樋口真嗣・福井晴敏の対談で、息の合った掛け合い漫才的やり取りを、既にここに見ることができる。題材になったのは、「スター・ウォーズ」「スター・ウォーズ特別編」「マッドマックス2」「ダイ・ハード」「ダイ・ハード2」「エイリアン2」「007/消されたライセンス」「スピード」「ザ・ロック」「アウトブレイク」「ターミネーター2 特別編」「スワロウテイル 特別版」「アルマゲドン」「ザ・グリード」。
08は『ローレライ』の企画に影響を与えたとされる『U-571』公開時の言葉で、ほかにも「恐らく僕は戦争映画が好きというよりも、多分、作戦映画が好きなんだと思うんですよ」「映画を通じて正しい生き方というものを提示しなければいけない」といった思いを語るなどサブテキストとして重要なものになっている。
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